新薬探索研究分野
生体高分子の配列および高次構造の解析技術が劇的に進歩した現在、化学(分子)を通じて生物を理解するケミカルバイオロジーという分野が注目されている。生物は物質間の非常に弱い相互作用を巧みに利用して、認識、増殖などのマクロな生命現象を維持している。私たちの研究室では、これらの生命現象を分子レベルで理解する基礎的研究と医薬品や診断装置開発などに向けた応用研究を同時に展開している。具体的には、糖鎖自動分析装置の開発と複合糖質に着目した疾患バイオマーカー探索、糖鎖自動合成装置の開発とワクチン開発、酵素機能探索プローブ開発とポストタミフルを目指した感染症予防・治療法の開発と医薬品リード化合物探索などの研究を進めている。さらに、持続的社会の実現に向け、環境との調和を重視したグリーンケミカルバイオロジーへの展開にも重点を置き、超臨界CO2の利用、再生利用が容易な触媒の開発、電磁波エネルギー活用法の開発、酵素反応の高次利用など環境調和型反応の開発、バイオリソースの高度活用技術の開発などを行っている。
スフィンゴクラスター
スフィンゴ脂質は、スフィンゴイド塩基を基本骨格にもつ脂質群の総称であり(図A)、セラミドやスフィンゴミエリン、糖が結合したスフィンゴ糖脂質など多種多様な分子を含む。スフィンゴ脂質は、グリセロリン脂質やコレステロールとともに真核生物の細胞膜を構成する主要成分である一方、スフィンゴシン-1-リン酸などシグナル伝達分子として働くことも知られている。我々の研究室ではこれまで、スフィンゴシン1-リン酸、セラミド、スフィンゴミエリンなどの生理活性スフィンゴ脂質の生合成機構や代謝調節反応に関する研究を行い、現在はそれらの成果を生かし、個体における生理機能、あるいは病態における役割の解明を目指した研究を展開している。
本年は、第一に、スフィンゴミエリン合成酵素(SMS)の一つであるSMS2の肥満形成における働きについて解析を行った。その結果、SMS2欠損が、脂肪組織(白色脂肪組織、褐色脂肪組織)において、分化抑制、ベージュ脂肪細胞化の促進など複数の経路で肥満に対して抑制的に働くことがわかった。現在、SMS2を標的とした抗肥満薬の開発を進めている。第二に、アルツハイマー病におけるスフィンゴ脂質の役割として、スフィンゴ脂質によって産生量が調節される細胞外ベシクル“エクソソーム”がアミロイドß除去効果をもつことを疾患モデルマウスを用いた実験で明らかにした(図C)。現在はエクソソーム機能を利用したアルツハイマー病治療・予防法の開発を視野に入れた研究を進めている。また第三のテーマとして、食材に含まれるセラミドなどのスフィンゴ脂質の皮膚機能改善効果に着目し、食品として摂取したセラミドの皮膚機能に及ぼす影響についても検討している。道内企業とともに新たに開発したセラミド含有機能性食品の皮膚機能に与える影響についてヒト臨床試験を実施し、その有効性を証明した。また、植物性セラミドが神経突起伸長抑制を介した痒み軽減効果をもつことを明らかにした。今後は、経口摂取したセラミドの体内動態や皮膚機能改善メカニズムについて詳細な研究を行っていく。
図の説明
(A) スフィンゴ脂質の構造
(B) マウスSMS2欠損による脂肪組織重量の減少
(C)エクソソーム脳内投与によるアミロイドβ(Aβ)蓄積の減少
キラル関連化学生物学
核酸・タンパク質・糖鎖・脂質などの生体分子を有機化学的に原子レベルで理解することにより、生体機能を理解・制御する学問が化学生物学であり、我々はとりわけキラル関連化学生物学の展開を目指している。紫外-可視円二色性(ECD)や赤外円二色性(VCD)を用いた新たなキラル分析法を開発し、それらを脂質・糖鎖・生理活性物質等へと応用し、得られた構造情報を基にキラル構造と生命現象との相関を探求している。メタボリックシンドローム等をターゲットとした脂質合成酵素の阻害剤の合成、脂質受容体イメージング用物質の開発、らせん構造解析とその生物学的応用などキラル関連化学生物学を展開している。
当研究室にて開発した、理論計算なしにVCDを用いて分子の立体構造を解明する新規手法「VCD励起子キラリティー法」をさらに発展させて各種分子に応用することにより、生分解性高分子や各種天然物の構造を解明している。また、脂質合成阻害剤の開発は脂質特有の疎水部分を親水性に置換、かつ高い阻害能を保持したよりドラッグライクネスな阻害剤開発を行っている。さらに皮膚バリア構造に重要な超長鎖脂肪酸含有アシルセラミド生合成や神経因性疼痛解明に向けた光アフィニティープローブの合成を実施中。本研究で得られた構造情報をもとに、化学生物学のさらなる発展に資する新規ツール・バイオミメティック材料の開発などを進めていく予定である。